はいさーい!
今回の島人インタビューは、久米島在住5年目となる大竹太平さんです。
いつも素敵な仲間に囲まれていて、自分のやりたいことに全力で、人生を楽しみまくっている彼の空気間や人柄が僕も大好きなんですが、
そんな魅力いっぱいな大竹太平さんにこれまでの人生を振り返ってもらいました。
すると、人生の岐路となったタイミングで素敵な人に出会い、その人との会話や行動からインスピレーションを受け、自分の理想とする暮らしに近づいて行ったことがわかりました。
そこで今回は、大竹太平さんが人生のターニングポイントでどんな出会いからインスピレーションを受けて、自分の理想とする人生を生きることが出来るようになったのかをシェアしていきますよ^^
自分の人生を振り返ったとき、
『なぜこの選択をしたいと思ったんだろう?』
と悩んでしまうこともありますが、太平さんの振り返りを聞いていると、過去の経験が現在、そして想い描く未来へと、全て意味があって繋がっているから必要な選択だったんだな〜って気づかされました。
太平さんの人生の岐路での選択には、今をもっとワクワク楽しく生きるためのヒントが詰まっていますから、最後まで是非、読んでみてください。
それでは、行ってみましょ〜
Contents
僕(大竹 太平)ってこんな人間です!

名前 大竹 太平 (おおたけ たいへい)
生年月日 1996年生まれ 25歳
出身 埼玉県北本市
家族構成 兄と妹の5人家族
久米島移住 5年目
学生時代は小中高とバスケをやっていて、ひたすらバスケに明け暮れていたそう。
その後、進学校だった高校から大学へと進みましたが、大学3年の夏に『離島でゆったりと暮らしたい』という想いから、インターン制度を利用して与論島で離島生活を体験。
与論島での離島生活をきっかけにして、現在は久米島で料理の勉強をしながら腕を磨き、大好きな仲間に料理を振る舞い自宅で酒を飲みながら語らい、また、海でぼーっとしたりと、大学時代に思い描いた『離島でゆったりと暮らす』を実現して、毎日楽しみまくる生活を送っています。
太平さんが、理想のライフスタイルともいうべき久米島での暮らしに辿り着くまでに、人生の岐路でどのような出会いがあり、何を感じ決断してきたのか、役立ったアドバイスをシェアしていきますよ^^
これまでの人生で岐路は4つあった

人生の岐路1:どこにいても、自分が幸せならいいんじゃないの?
太平さんが与論で初めてみた青い海
大学3年生の夏、周りは就職活動真っ只中、太平さんも将来のことについて考えを巡らせていました。
周りがインターンで色んなところに働きに出ていて、『自分も何かしなきゃいけないのかなぁ』と思い、『離島 インターン』で検索して、偶然出てきた与論島へ行くことに決めたという太平さん。
与論島の役場で、海岸清掃班という部署に配属されビーチクリーンなどの仕事をしていたそうですが、人口5000人の島で暮らしている人達が、とにかくイキイキして見えたと語ってくれました。
刺激的な都会の暮らしは、華やかで楽しさに溢れてはいますが、都会を離れ、海の青さや島で暮らす人たちの温かさや、ゆったりとした時間の流れに身を任せ過ごしているうちに、本来あるべき自分の姿を思い出し、自然に心惹かれたのかもしれませんね。
海に囲まれた田舎で、ゆったりと暮らす毎日を満喫していた太平さんでしたが、島で暮らす人との会話から自分がこれからどう生きて行くべきかのヒントをもらったんだそうです。
かくして3週間だけの与論島でしたが、働いて東京へ戻ると『たぶん僕は南に行きたいんだろうな』っていう気持ちしかなく、周りの声は何にも入ってこなくなっていたんだそうです。
人生の岐路に立ったとき、目の前の事象をポジティブに捉えるのか、ネガティブに捉えるのか、やるやらないも自分次第ですが、どんな選択をするとしても自分が幸せかどうか、自分に問いかけてみましょう!
人生の岐路2 :一杯のコーヒーになるまでを君に見せたい
与論島での3週間を経て、『離島でまずは1年から暮らしたい』という想いが強くなっていた大学4年時、色々とリサーチしていると、沖縄の離島である久米島で地域おこし協力隊の募集をしているのをみつけます。
高校生が暮らす寮で、一緒に生活するハウスマスター(寮父さん)の仕事でしたが、若い人を探していたそうで、
与論島で生きる方向性を見出した太平さんは、迷うことなく行動を続けたことで巡り合うべくして久米島と出会い、念願の『南にある離島でゆったりと暮らす』を実現させたのでした。
その後、ハウスマスターとして働きながら仕事が終われば大好きな海に向かい、好きなだけ海を眺めるという想い描いた離島生活を満喫していましたが、気がつけば1年限定だった島ぐらしも、あっという間に過ぎようとしていました。
島ぐらしコンシェルジュとは、「移住相談、情報提供」および「移住定住を切り口にした魅力的なまちづくりの支援」をサービスとして提供している久米島町の総合相談窓口です。
こうして、久米島町島暮らしコンシェルジュとして働きながら、島暮らしを続けて行けることになった太平さんでしたが、
『島に来たけど、任期が終わったらどんなふうに生きていこうか?』
と、島コン卒業後に何をしようか迷っていたそうですが、移住後から通っていた『自家焙煎珈琲豆 マキノコーヒー』のオーナー牧野秀樹さんから思いがけない誘いがあったといいます。
『自家焙煎珈琲豆 マキノコーヒー』は、栽培をはじめ、収穫、精製、焙煎、抽出、販売に至る全てのコーヒープロセスに取り組む、国内でも数少ない部類に属する、こだわりの厳選されたコーヒーを提供してくれるお店です。
マキノコーヒーの最新情報はSNSで見ることができますので、是非、チェックしてみてくださいね^^
マキノコーヒーFacebookはコチラ➡️自家焙煎珈琲豆マキノコーヒー
マキノコーヒーInstagramはコチラ➡️makino_coffee
現在、牧野さんはマキノコーヒーのインスタグラムなどで、太平さんのことを弟子と呼びながら投稿することもありますが、一緒にいる時の2人の笑顔を見ていると、とても仲の良い師弟関係なのが伝わってきますが、
2人が仲良くなったきっかけは、初めて話した時に、お互いにヒップホップミュージックが好きだということがわかったときだったそうです。
何気ないCDの貸し借りのやりとりでしたが、ここから少しずつ距離が縮まり色々なことを話すようになったそうです。
初めての人同士が会話する際に、共通の話題があると距離が縮まることはよく知られているところですが、2人を引き寄せたCDが何だったのかも気になります。
この出会いをきっかけに、太平さんは牧野さんの元で珈琲について学び、今では自分でも珈琲の焙煎をして日々勉強しているそうです。その始まりがCDの貸し借りからだったなんて、人生なにがきっかけになるかなんてわかりませんよね^^
ある統計によると、世界には70億人がいて、一生の間に出会い何らかの接点を持つのは3万人と言われています。その確率はなんと0.0004%。
ですから、
何らかの接点を持てる人と出会うことはホントに奇跡的ってことですから、ひとつひとつの出会いを大切にして、大好きな人であれば尚更、たくさんの時間を共有していきたいですね!
人生の岐路3:生きることに直結する食べることを学ぶため料理の道へ

太平さんが暮らしていたアパートには、いつも自然に人が集まり、よくご飯を一緒に食べていたそうですが、
太平さんが作る料理がまた絶品なので料理を食べた友人達は、『太平食堂』と題してSNSで投稿することもしばしば。
僕も投稿を見たことがありますが、
『念願の太平食堂行って来ました!』なんてコメントと共に料理画像が投稿されるんですが、お店で出されるようなクオリティで、美味しさが画面を通して伝わってきて、いつも生唾呑み込みながら眺めていた記憶があります(笑)
アイランドカレーセンターとは、久米島唯一の南インドカレーのお店ですが、そこでカレーを作っていたのが松原泰輔(まつばらたいすけ)さんです。
松原さんは、地元の旬な食材で美味しいものをつくることをモットーに、スパイシーな南インドカレーを提供していましたが、
『アイランドカレー1番の常連だ、オレは!』
というほど、毎週通うくらいの大ファンだったという太平さん。
そんな松原さんとは、プライベートでもよく遊ぶ仲だったそうで、
何気ない日々の料理から始まった太平さんの料理は、松原さんに出会い、カレーだけではなく料理に対するひたむきな姿勢を肌で感じたことで、食について考える機会が自然に増えていったのではないでしょうか。
太平さんは現在、島内のレストランで料理の勉強をする傍ら、気の合う仲間が集った際は料理を振る舞い共に味わいながら、同じ時間を共有し楽しみながら暮らしています。
何かやりたいことをやろうと思った時、『今からじゃ遅いかな』と、始める前から諦めてしまうことってありますが、やりたいことをやるのに遅いとかないので、とにかく自分を信じて行動を続けることが大事ですよ。
人生の岐路4:やりたいことが明確に〜点と点が繋がり線になる〜
都会を離れ海に囲まれた田舎の島で、珈琲や料理を学びながら、ゆったりと暮らす最高な生活を手に入れた太平さんですが、やってきた事が少しずつ仕事として形になっていきます。
ある日、珈琲の師匠である牧野さんから古民家カフェ『一思庵(ひとしあん)』の企画書を見せてもらった太平さん。
古民家カフェ『一思庵』とは、久米島馬牧場のオーナーが所有する古民家で、週末に厳選されたコーヒーや緑茶、絶品のタルトや軽食が食べられるお店。
※現在は残念ながら『一思庵(ひとしあん)』はやっていませんが、牧野さんが新店舗『マキノコーヒー本店』を2022年6月1日にオープンしましたから、美味しい珈琲やデザートがいただけますよ^^
太平さん考案の『雪舟』
その後も知人から食事関係の仕事依頼が舞い込んでくるなど、これまでの経験が実を結び少しずつ仕事になっていったそうです。
そんな、やりたいことが少しずつ少しずつ形になってきた太平さんは現在、次なるやりたいことであるゲストハウスを始める準備を進めています。
でも、なぜゲストハウスを始めようと思ったんでしょうか?
島コン退任前、これからの道に悩んでいたという太平さんは、気の合う仲間たちとお互いの夢やこれからやりたい事などを話しているなかで、やりたいことのひとつがゲストハウスだとわかったそうです。
やりたいことをやり、人生を楽しみまくることで加速度的にさまざまなものを引き寄せ、ゲストハウスを始めるきっかけともなった古民家と出会った気もしますが、その後、想いは形となるべく人をも引き寄せていきます。
モバイルハウスとは、トレーラーの上に小屋を乗せたトレーラーハウスやタイニーハウスと呼ばれるスタイルや、トラックの荷台の上に小屋を乗せた(海外ではハウストラック)と呼ばれていたりもする『動かせるお家』のことをいいます。
生活冒険家 赤井成彰さん YouTubeより引用
人生の岐路で『自分が幸せか問いかけ』久米島へ移住し、珈琲や料理を学び続け、気の合う仲間たちとの会話からやりたいことが明確になり、『ゲストハウス』スタートに向け自然な流れで動き出した太平さん。
彼を見ていると、人生のどんな経験も無駄なことってひとつもなくて、やりたいことがあるなら諦めず行動することで、点と点が繋がり線となるんだといくことを教えてもらいました。
やりたいことがあるなら出来ない理由探しはやめて、やるためにどうしたら良いのかを考え、やると決めて今すぐ行動することが大事ですよ^^
宿を通して循環させる〜これからやっていきたいこと〜
これからやりたかったゲストハウスをやろうとしている、太平さんですが、宿がゴールというわけではなさそうです。
これからやっていきたいことについてお聞きしました。
宿を通して得たお金で、これまで行ったことがない場所や新しい人に出会いに行くことで、さまざまな気づきや刺激があるでしょうし、その新しい経験が世界中の人たちと久米島を結び、新しい循環の輪が広がっていきそうですから、今後の太平さんの活躍から目が離せませんね!
大竹大平さんにとって久米島とは

最後にお聞きします。
『海に囲まれた離島でゆったりと暮らしたい』からスタートした太平さんの冒険は、島を拠点に日本全国、そして世界へと目を向けています。
やれることをやっていきたいと話す太平さんですが、これからも『人生の岐路で迷ったら自分が幸せか問いかける』ことで楽しみながらチャレンジを続けていくんでしょうね。
一度きりの人生を楽しみまくるためにも自分の心に問いかけて、最幸にワクワクする選択だったら迷わずやってみましょう!サイコーな人生が待ってますよ^^
『久米島古民家宿 想生〜sou〜』のご案内
太平さんが、ホームステイ型のゲストハウスを2022年8月8日、ついにオープンさせました!
宿泊プランなどの詳細は素敵なホームページをチェックして、直接お問い合わせください。
『久米島古民家宿 想生〜sou〜』のホームページはこちら➡️ 想生〜sou〜
また、太平さんのInstagramからも久米島の良さが伝わってきますから、こちらも是非、チェックしてみてくださいね。
大竹太平さんのインスタグラムはこちら➡️taihei_otake
