双子のハイリスク出産のため、西田桃子(にしだ ももこ)さんは、宮崎県の実家へ里帰り出産を選ぶしかありませんでした。
とても貴重な双子の出産ストーリーを語ってくれましたよ。
桃子さんは『自分の経験が他の人には参考にならないかもしれない』と話されていましたが、今後同じような立場になるママやその家族に必ず助けやヒントになると考え、協力をしてくれました。
ハイリスク出産について、だれでも気軽に話し合えるような輪が広がり、より理解が深まるとうれしいです^^
保育器に入って頑張って生きようとする赤ちゃんの写真もあり、命の尊さを改めて実感しました。
それでは教えていただきましょう!
【家族構成】2024年6月現在
西田貴寛(にしだ たかひろ)(30)パパ
西田桃子(ももこ)(31)ママ
西田いと(1才・女の子)
西田おと(1才・女の子)
【ママについて】
- ご主人の自衛隊の転勤で久米島へ(3年目)
- 妊娠前はアルバイト勤務で現在は専業主婦
- 双子の出産を宮崎県の大学病院で経験
- 島の温かいサポートに支えられながら育児奮闘中
Contents
里帰り出産を選んだ理由は?
妊娠9週で双子を妊娠していることが分かり、久米島では健診もできないため、すぐに里帰りすることになりました。
長期間実家にいることになったので、生活費を入れていましたよ。
双子ということもあり、基本的には安静に過ごしていましたね。
妊婦健診はどこに通った?
妊娠9週(約3カ月の2週目)まで久米島病院(9週で離島)
妊娠11週(約3カ月の最後の週)から宮崎県の医療センター
出産まで宮崎県の大学病院
双子の中でも最もリスクの高いMM双胎(エムエムそうたい)で、地元の国立病院・都城医療センターという大きな病院でも対応できなかったため、最終的に大学病院で出産することになったんです。
久米島での健診は2回しか受けられませんでしたが、転院についての相談や手続きなど、しっかりと対応していただきました。
ただ、週に1回しか健診がないのは不安でしたね。
双子の確率とMM双胎の確率はまさに奇跡!ハイリスクの出産
双子の確率が100分の1で、いととおとの種類(MM双胎)はその中でも1%未満の確率のようです。
とても珍しいんですが、その分リスクも高くて、健診の度に
『いつ何が起きてもおかしくないからね』
と言われていました。
具体的には、片方に栄養が偏ってしまったり、二人の臍の緒が絡まってしまったりして、お腹の中で亡くなってしまうこともあるからです。
私も家族も出産するまで本当に不安で、ベビー用品は何一つ買えませんでした。
でも妊娠中の経過も問題なく、産まれてからも順調に育ってくれていて、本当に二人ともよく頑張ってくれていると思います。
久米島を出たのはいつですか?
双子妊娠が分かって次の日に離島することになったので、一人で実家に帰省しました。
旦那は仕事があったので、約9カ月間は一人暮らしでした。
旦那が私のところに来たのは、大学病院の初診の時と出産後、そして島に帰る際に迎えに来た時の3回です。
\ご主人からひとこと/
初めての子供が双子ということもあり、不安な気持ちが大きかったです。
また、子どもたちや妻の状況がタイムリーに分からなかったのも不安でした。
どんな移動手段を使って地元へ帰りましたか?
飛行機で久米島から那覇、那覇から宮崎へ行き、宮崎空港まで親に迎えに来てもらいました。
実家で過ごしたのは産前、産後どれくらいの期間ですか?
実家で過ごしたのは約9ヶ月間で、そのうち3ヶ月は管理入院していました。
産前は6ヶ月、産後は3ヶ月でした。
大学病院での検診は、移動で片道1時間、待ち時間も3時間くらいかかっていたので、いつも母親が連れて行ってくれて助かりました。
また、リスクの高い妊娠だったので、母親が常に近くにいるのは精神的にも安心できましたね。
ただ両親とも仕事をしていたので、産後の双子育児は私も両親もとてもきつかったです。
日中は両親が仕事だったので、一人で二人分の授乳や搾乳、哺乳瓶の消毒をしないといけなかったので、本当に寝る暇がなかったです。
両親は仕事をしながら、育児の手伝いや買い出し、私の健康を考えたバランスの良い食事の準備などをしてくれて、感謝の気持ちでいっぱいです。
また夜中に二人同時に泣いている時は、抱っこや授乳もしてくれて、家族皆で睡眠不足でした。
ご主人の育児休暇をとるタイミング
さらに旦那の育児休暇をとるタイミングも難しく、悩みました。
子どもたちが退院するタイミングで取得するのか、久米島に戻るタイミングで取得するのか…
結果的に久米島に戻ってから1ヶ月間取得しましたが、これだけだと全然足りなかったですね。
陣痛〜出産のエピソードを教えてください
出産は計画的な帝王切開でした。
コロナの影響で、面会も外出も禁止されていた時期です。
3ヶ月の管理入院だったため、誰にも会えず外に出られないことはとても辛かったですね。
立会いは不可で、当日は両親が来てくれましたが、会えたのは手術室に移動する時のみでした。
赤ちゃんは産まれてすぐに保育器に入れられました。
両親は子どもたちが手術室からNICUに移動するときに少し見ることができたようですが、
私も抱っこなどはできず、保育器内で赤ちゃんの頭がちょっと見える程度でした。
出産後の過ごし方
子どもたちは約2kgで産まれたので、ずっとNICUにいました。
コロナの影響で、入院中は1日2回、30分ずつの面会が許されていたので、毎日会いに行きました。
ただ最初は触れることはできず、保育器ごしに見るだけでした。
初めて抱っこしたのは、産まれて2週間くらい経ってからでうれしさでいっぱいになりました!
大学病院なので産婦人科の出産のような、お祝膳というものはありませんでしたが、
3ヶ月もの間管理入院していたので、何でも看護師さんや助産師さんに相談できて心のケアをしてくれたので、特に不安になることはありませんでした。
出産費用はいくらかかりましたか?
当時、出産育児一時金が1人あたり42万円の支給だったので、2人分の84万円が支給されました。
50万円の支給に切り替わる、10日前の出産だったんです(;’∀’)
それでも3ヶ月の入院費や出産費などを差し引いて、7万円ほど手元に残ったと思います。
加入している健康保険組合からお手紙が届いて、口座番号を書き返送すると、後日指定した口座へ振り込まれるという形です。
久米島からの出産助成金は、当時宿泊先が実家だと10万円だったので、それが支給されました。
とてもありがたいですが、生活費+私や旦那の交通費なども入れるとやっぱり足りなかったですね。
産後どれくらいで久米島へ戻りましたか?
産後3ヶ月くらいでようやく久米島に帰ってきました。
双子だったのと自分たちの荷物もあったので、段ボールで送れるものは郵送しました。
育児グッズやベビー服、双子用ベビーカー、出産関連の書類だけでなく、私の長期帰省の荷物もあったので大量でしたね。
帰りは旦那に迎えに来てもらい、飛行機を使いました。
ただ、旦那と二人で家事に育児に追われる毎日でとてもきつくて、お互いに余裕もなく、全く育児を楽しめていなかったと思います。
9ヶ月間、一人で暮らしていた旦那の希望で、私は産後3ヶ月で帰ってきましたが、今思えばもう少し実家にいれば良かったなぁと思います(;’∀’)
これから出産を控えている人へメッセージを!
離島での妊娠は不安もあると思いますが、久米島町役場や公立久米島病院の先生や助産師さんなど、いつも丁寧に対応してくれました。
産後の手続きも役場でしっかり教えていただけるし、育児の悩みもさまざまな場所で相談できる機会があります。
役場の助産師さんや栄養士さん、久米島病院の先生、そして一番多いのは支援センター”にじのひろば”です。
特に支援センターでは、職員の方やお母さんたちだけでなく、定期的に助産師さんや栄養士さんがきてくださるので、いつも相談させていただいています。
本当にみなさん優しいなと感じます^^
また、公立久米島病院に行くとおじいちゃんおばあちゃんが「可愛いね」と言ってくれて、ほっこりします♡
離島ならではの温かみがあるので、安心して出産して帰ってきてくださいね。
いとちゃん、おとちゃんの保育器の中の写真をみていたら、涙がとまらなくなってしまいました…
みんな本当に頑張っているのが伝わってきます。
世界中のパパママに届け!この出産ストーリー!
産後の挙式エピソード
結婚式はもともと2023年3月に予定していたのですが、妊娠出産で延期することになり、2024年3月9日に、本島の北谷で式を挙げました。
ほとんど親族ばかりの小さな式でしたが、県外の人しかいなかったので、式だけでなく旅行も楽しんでもらえました。
特にエイサーと獅子舞の演出には皆感動していましたね。
ただ、いととおとが人見知りでずっと泣いていたので、私たちはとても大変な1日でしたが、子供と一緒の結婚式って特別で素晴らしいものだなぁと幸せを感じました。