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島人インタビュー

【ジェラテリア久米島Verde】若勇さんは『人の島、久米島』を愛するご夫妻

みなさん、初めまして!

このブログでは、久米島に関わる全ての『人』にスポットライトを当てて紹介していきます。

『久米島うまんちゅブログ』最初のゲストは、

『ジェラテリア久米島Verde(ヴェルデ)』という本格的なイタリアンジェラート店を営む、若勇さんご夫婦です!

インタビューを快く引き受けてくださり、ありがとうございました。

若勇さんご夫妻のプロフィール

 

若勇 昌彦さん

若勇 昌彦(わかゆう まさひこ)さん

昭和59年生まれ 37歳

出身 埼玉県所沢市

職業 ジェラテリア久米島Verde(製造・販売)/無線LANエンジニア

幼少期から海外生活が長かったため、英語がペラペラ!さらに中高の英語の教員免許までお持ちなんです。元ITエンジニアでもあり、現在も久米島Verdeの仕事と並行して、ITの仕事もしています

若勇 麻衣さん

若勇 麻衣(わかゆう まい)さん

昭和59年  37歳

出身 愛知県豊川市

職業 久米島博物館勤務

アロマセラピストでもいらっしゃる麻衣さん。また、大学時代に培った英会話力で、一時は海外移住も考えたほどなんです。昌彦さんの方が、学年がひとつ上だそうですよ。

おふたりは2008年にご結婚されて、長男(5年生)、長女(1年生)、次女(保育園年長)の5人家族で仲良く久米島生活を満喫中です。

出会いのきっかけは『同じ大学の英語サークル』だった

若勇さん夫婦お二人の出会いは、東京の大学で同じ英会話ESSサークルだったそうです。

昌彦さんは、某国内自動車メーカーに勤めていたお父様の仕事の関係で、海外に住んでいた経験をお持ちなんですが、その海外生活期間も意外に長く

小学校2年生からオーストラリアに4年、イギリスに2年、イタリアに1年』と転勤を繰り返し、なんと高校受験を目前に控えた中3の夏に、日本へ戻ってきたと言いますからビックリですよね。

昌彦さん
昌彦さん
最悪のタイミングで帰国しましたね(笑)転校した学校はちょうど修学旅行が終わって、クラスが一致団結をした頃で…完全ドアウェイな中、「海外から来たナゾのヤツ」として合流しなきゃならなかったんですからねぇ。 日本語も、まだ下手ですよ。

麻衣さん
麻衣さん
だいぶマシになった方ですよ。大学の時も、ちょっとおかしかったよね!

昌彦さん
昌彦さん
でも教員免許とれたからね~!

ナゾのヤツとか、おかしかったとか、そんな笑える懐かしエピソードも教えてくれました。

昌彦さんはイタリア語は、ほとんど忘れちゃったそうですが、ジェラートの味は覚えていたからこそ、今があるんですね~

なぜ移住だったのか?その理由ときっかけとは

もともとは、ニュージーランドへ移住を希望していたという若勇さん。

ですが2014年、テロ事件で世界情勢が不安定だったことなどから、一旦、移住を見合わせたそうです。

移住前、昌彦さんは、無線LANエンジニアをされ、麻衣さんは子育ての為、専業主婦として家族を支えていました。

当時、昌彦さんは埼玉県所沢市から東京都港区六本木へ、なんと往復3時間の電車通勤でしたが、

『朝早くに出て、23時の終電帰りもしばしば・・・このままこんな生活を続けていいのだろうか?』

と毎日もやもやしていたそうなんです。

確かに毎日、朝から晩まで働き、大好きな愛する子供との触れ合いもなく、見るのは可愛い寝顔だけ・・子を持つ親として『どうにかしたい!』という想いになってくるのも頷けますよね。

そんな昌彦さんは、ITの仕事で沖縄のプロジェクトを抱えていたこともあり、何度か沖縄へ訪れていましたが、沖縄移住を考えるようになり、島暮らしコンシェルジュ主催の『移住相談会』で話を聞いてみようと足を運んだそうです

こちらは、久米島Verdeのインスタです。現在もエンジニアの経験を活かして、久米島でも無線LANの相談にのってくれますよ! ⬇️

久米島Verdeのinstagramはこちら!

国内移住を決断、数ある離島から『久米島』を選んだわけ

沖縄のなかでも離島を探していたところ、

麻衣さん
麻衣さん
久米島って場所が、あるんだって!

最初からジェラート屋さんをやるつもりはなく、ただ生活の拠点を移すことだけが目的だったため、石垣や宮古などへの欲が全くなかったと言います

若勇さん夫婦が移住に際してこだわったポイント

生活が出来るところ

子供たちが住んで困らないところ

自然豊かなところ

私達が、職に困らないところ

だったそうですが、麻衣さんはとにかく自分の直感を信じて説明会も久米島しか聞いてなかったんだとか。

そんな直感を信じた若勇家族にミラクルが起こったのは、久米島移住を漠然と考えながらの説明会の帰り道でした。

久米島に住んでいた先輩移住者さんから、

『ちょっと一回来てみない?』

と誘われ、それをきっかけに久米島初上陸を果たすことになったんですね。

自分たちのこだわりのポイントはあったと思いますが、自分の直感に従ったことで自分たちの進みたい未来を引き寄せたってことなのではないでしょうか。

これって何が起こるかなんてわからないけど、直感を信じ、とにかく行動することの大切さが伝わるエピソードですよね〜

私たちも『ピンと来た』感覚を信じて移住したのでよ〜くわかります(笑)

久米島移住の前後で子供たちはどのように変わったのか

離島への移住を決めた時、子供がいる家庭なら避けては通れないのが教育や地域社会における環境、そして何より大事な本人が離島で暮らしたいかという意思ですよね

若勇さん夫婦にも小さなお子さん達がいて、子供を伴っての離島移住となったわけですが、移住前と移住後の子供達にどのような変化を感じているのかをお聞きしました。

久米島移住前の子供たちはどんな感じだったのか

長男が小学3年生の時に、久米島に引っ越した若勇さん一家ですが、移住前は『結局大人に言っても何も変わらない』と感じていたそうです。

なぜなら、内地の小学校は子供の数も多く、ひとクラス30名超えで、担任の先生との距離も感じていたんですね。

子供のころは、『大人の代表格=学校の先生』。本人なりに意を決して相談を持ち掛けても、特に聞き入れてもらえなかったことがよくあったようです。

麻衣さん
麻衣さん
大人を信用して!って言えなかった。

また、内地は子供の安全面に関するリスクが大きく、特に女の子が狙われやすい。誰かが困っていても『声をかけてあげなさいって言えなかった。でもそれって「人に優しくありなさい」と矛盾する。教育上良いのかな?』と麻衣さんは言います。

内地の良いところだってもちろんあるとは思いますが、島と比べると治安や人間関係も薄く、

『アパートの隣の部屋に住んでいる人の名前も知らなかった』

なんてことはよくある話しですし、『いい人!』と心の中では思ってはいても、子供の前でも同じ『いい人』でいてくれるかなんて保証もないので、

あまり踏み込みすぎないように、バランスを取っていたそうなんですね。

そんな環境下の影響もあってか若勇さんの真ん中の子は、はじめての人・場所が苦手で家族以外の人とあまりしゃべれなかったそうです。

いつも麻衣さんの洋服をぎゅーっと掴み(つかみ)いつもうしろにピトッとくっついている印象だったそうです。

学校の先生であったり近所の人や親戚など、大人と接する機会って意外とありますが、家族以外には本当の自分を出せず、自分の殻に閉じこもらざるを得ない状況って辛すぎます。

昌彦さんの職場環境のことや子供を取り巻く環境の悩みなど、直感に従い久米島移住したことで思いっきり環境がガラッと変わり家族の人生好転に繋がったのかもしれませんね。

久米島移住後の子供たちはどのように変わったのか

子供たちは、久米島にきてから『オープンに、そしてワイルドになった』そうですが、少人数で『保育所、幼稚園、小学校とほぼ持ち上がり』なのも良いところですよね。

ですが、なぜ子供たちは島に来てからオープンな性格になったのでしょうか?

それは、日常の子供たちと大人の関わり方が移住前とは比べ物にならないならなかったからなんですね。

どういうことかというと、強風が吹き荒れる悪天候の日があったそうなんですが、担任の先生が、ちゃんと帰れるのか心配して学校から自宅へ送迎してくれたなんてことがあったそうなんです!

島では当たり前に見る光景かもしれませんが、島外からの移住者からしたら、かなりビックリなエピソードですし驚きしかないですよね。

昌彦さん
昌彦さん
おじぃ、おばぁのセコムがすごい!

でました名言っ!!(笑)

家族だけではなく、学校の先生や周りの大人たちも子供達の顔や名前を覚えていてくれたり、道端で気さくに声を掛けてくれる島ならではの環境が垣間見える瞬間ですよね。

また、ご長男は将来プログラミングなどのIT系に進学したいと思っているそうです。

5年生で自分の進路を見据えているなんて凄いですが、お子さんはこの島の環境が大好きで島の中学へ進学を希望していて、若勇さんご夫婦も中学は内地ではなく、本人の意思を尊重して島の中学を考えていると話してくれました。

大人に対して不信感を持っていたお子さんが、自分の思いを口に出せるようになるなんて親じゃなくても感動ですよね。

将来的に子供の進路によっては島外の学校も選択肢になることはあるでしょうが、島の学校じゃないと出来ないこともたくさんあると、

職場体験を例にして、『大人が付き添ったりせず、自由にのびのびと、濃ゆい社会体験をすることが出来る』と語ってくれていましたが、島に対する愛がビンビン伝わってきますよね。

そうした環境の変化のおかげなのか、子供たちも最近はよく人と関わるようになって、店の仕事に対しても理解してくれているようで、

他の子たちがジェラートを食べてくれるのを見て、若勇さんの子供達も喜んでいるので、つながりがどんどん広がっていくことが親としては嬉しいと話してくれました。

内地とは比べ物にならないほど安全で平和な島で、それが叶うのは、地域の人たちのお陰なんだと改めて感じました。

若勇さん夫婦の未来図『私たちの拠点をつくりたい』

今後についてお聞きすると、『やっぱり、基盤・拠点が欲しいよね』と日頃から話されているという、若勇さん夫婦の未来図とは一体どんなものなのでしょうか。

昌彦さんは『いずれはジェラート屋さんも、住まいに併設された形にするのが理想』と考えているんだそうですが、

それは、『子供に負担をかけずに、いつもそばで仕事をしたいと考えている』とも話されていたので、お子さんを一番に想っていることが伝わってきて胸が熱くなりました。

 

また、麻衣さんは『久米島に来てる人って、バックグラウンドがみんな違い、価値観もみんな違う。そこがすっごく面白くていい!』と話してくれ、

自身の未来図については、アロマセラピストの資格があるので、子供たちが自立した後は、そんな空間を自宅に作って仕事をしたいと、さらに素敵な夢を教えてくれました。

きっと現状に満足はせずに、何処までも楽しみながらやりたい事をやり続けていくんだろうな〜と、おふたりの話を聞きながら『人生を楽しんでいる』姿って素敵だなって思いましたね。

島に望むことは『空き家情報まとめと回転寿司(笑)』

『これからの久米島に望むことはありますか?』との問いに、移住当時に苦労した転校手続き

・まず住所が決まらないと小学校も決まらない。

・小学校が決まらないと転校手続きもできない。

全部同時にしないといけなかったことと真っ先に答えてくれました。

これって、子供がいる方が移住する時に絶対に避けては通れない道ですから、移住者あるあるですよね。

若勇さん家族は運よく空き住宅があったので、即移住へ舵をきれたわけですが、空き物件情報が島外にいると全く入ってこないので、

『すぐに入れる状態の、空き家・空き部屋情報が欲しい』

『空屋情報が分散しているので、一カ所にまとめてもらいたい』

と話されていました。

私たちも島外にいると情報がとても少なかったので、これは今後、改善してくれると島民にとっても、移住したい人たちにとっても嬉しいことではないかな〜って感じました。

『あと・・・回転寿司!!(笑)』

終わり際に飛び出した言葉ですが、これはかなり共感(笑)

新鮮な魚が獲れる島なので、安くて美味しい、回転寿司を是非とも実現して欲しいですよね。

若勇さんにとって、久米島とはどんな場所ですか?

それでは最後にお聞きします。

若勇さんにとって、久米島とは、どんな場所ですか?

人の島です

『自然だけじゃなくて、人を見に来て欲しいなぁ』

と、島人の優しさを日々感じているようです。みんな優しいけれど、そこからさらに一歩踏み込むと、もっと近くなれるのが島の良いところですよね。

『採れた野菜のおすそ分けを頂くことがよくあります。今の時期はオクラ!この前’’角’’だったから今度’’マルね’’』といった笑い話しで盛り上がりました。

久米島Verdeのホームページはこちら

若勇さん家族のディープな一面を教えていただきました。おふたりの久米島愛がたっぷり入ったジェラートを食べながら、ぜひ会話を楽しんでくださいね。

本日のゲストは、ジェラテリア久米島Verdeの若勇 昌彦さんと、麻衣さんご夫妻でした!ありがとうございました!

 

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